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『フランケンシュタイン対地底怪獣』(フランケンシュタインたいバラゴン〔『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』と呼称する資料なども存在するが、フィルム上のタイトルは「地底怪獣」に「バラゴン」とフリガナがつけられている。〕)は、東宝と米国のベネディクト・プロが製作し、1965年(昭和40年)8月8日に公開した怪獣映画である。総天然色(カラー)、90分。同時上映は『海の若大将』。 == 概要 == 東宝が、海外資本との提携によって怪獣映画の新機軸を模索した意欲作。怪獣映画としては初めての日米合作である。内容は「フランケンシュタインが地底怪獣バラゴンと闘う」というものである。 本作は、当初米国20世紀フォックス社が進めていた「キングコングとフランケンシュタインの怪物が闘う」という映画の企画が日本の東宝に持ち込まれ、映画化権を取得して実現したものである。ちなみに、フォックスの企画からキングコングの要素を生かして完成された作品が『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)である。 この企画案の「フランケンシュタイン」の要素から、『ガス人間第一号』(1960年、本多猪四郎監督)の続編企画として、『フランケンシュタイン対ガス人間』の脚本が関沢新一によって起こされたが、未制作に終わった。 その一方、「ゴジラ映画」の新作として『フランケンシュタイン対ゴジラ』と題した脚本が木村武によって執筆された。ゴジラの部分以外はほぼ本作と同じストーリーであるこの内容が二転三転したのち、ゴジラの部分を新怪獣バラゴンに変更し、本作に結実した〔。 原案はアメリカのSF作家が担当、ソウルは米国側スタッフとともに医学監修として来日し、撮影にも立ち会った〔東芝EMIのCD「東宝怪獣映画選集7」解説より。〕。ベネディクト・プロとの合作映画であり、当初から海外での上映が予定されていたが、国内での封切り後に、東宝国際部から「アメリカでの規定に上映時間が2分足りず、売ることができない」と連絡が入った。そのため、フランケンシュタインが研究所を脱走する場面で「うっかり警察官を踏み潰しそうになる」というカットを撮り足したり、アパートで戸上季子に別れを告げるフランケンシュタインの場面にパトカーの転覆炎上(国内版では1台が道路標識に、もう1台がコンクリート製の塀に衝突するだけだった)などを2日かけて撮り足したりして尺増しを図った。これらの輸出用追加撮影分は、DVDの特典映像に収録されている。 広島に原爆が投下されたシーンのキノコ雲の特撮カットは、後年の『怪獣総進撃』(1968年、本多猪四郎監督)や『人間革命』(1973年、舛田利雄監督)などにも流用されている。投下前の広島の全景には、渡辺善夫によって実景と見紛うようなリアルなマット画が使われている。また、本作に登場する怪獣は、ゴジラの半分近い20メートル前後の設定にされており、ミニチュアの縮尺も6分の1、15分の1(ゴジラ映画などでは25分の1)で作られ、非常にリアリティーのある映像に仕上がっている。円谷英二は馬や猪といった動物の描写もあえてミニチュアで撮るこだわりを見せ、冒頭のドイツ空襲、Uボート、バラゴンによる白根山のヒュッテ襲撃など、円熟したミニチュアワークを展開している。 音楽担当の伊福部昭は、本作のフランケンシュタインの主題曲のため、当時日本では個人所有の1つしかなかったバス・フルート(アルトフルート)という超低音の楽器を借りて使用している。本来、この楽器は低音すぎてオーケストラなどで利用価値のないものとされているが、「そこは映画音楽ですから(伊福部談)」と、伊福部はピックアップ・マイクによる採音技法で見事にこれを活かしてみせている。 ヘリコプターからフランケンシュタイン用の食料を落とすシーンは、本編ロケに自衛隊員役で出ていた中島春雄が中代文雄と共にヘリコプターに乗り、足で押して落とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フランケンシュタイン対地底怪獣」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Frankenstein Conquers the World 」があります。 スポンサード リンク
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